【理念】
一、私達は人や社会を育てる教育者である自覚を持つ。
一、自分や他人を苦しめる様な自我があったなら取り除く。
一、身を粉にして育てる事で繁栄させる。
【信条】
一、世の為、人の為に役に立つ人間になる。
一、私達が人生を通して努めることは祓い・清め・感謝である。
一、和の精神を次世代に残す為に尽力する。
一、神道の心を世に広める者の模範となり、普及に努める。
【心得】
一、ウシハクではなく、シラス国を共に作る。
一、自分が主役ではなく、民衆が主役の民衆の為に何が出来るのかを常に考える。
一、徳は頂点ではなく中心に置く様に努める。
一、徳とは示すものではなく、人が積んだ徳に気づく事である。
一、言挙げしない人の心の声を聴く。
一、善も悪も自分の中にある。善に心を留め、清らかに過ごすことに努める。
一、苦しい時に心は育つ。
一、良いことも悪いこともない、全てが必要なことである。(最善観)
一、この世の中に完全無欠など存在しない。
一、悲しみや苦しみ、怒りや憂い、恐れに打ち勝つ勇気がある。
一、私は清らかである為に常に魂を磨くことに努める。
一、心の底には魂があると考える。
一、常に自我を祓い、魂を清らかにし、感謝が言えるように努める。
一、足りないところを見つけて批判するのではなく、足りないところを補うことを考える。
一、人は足りないところでこそ活かされる。
一、愛と欲の区別が出来る。愛とは与えることである。
一、愛を示すとは、関心を寄せる事。関心を寄せるとは、笑顔と頷く心。
一、明るく元気に笑顔で、なり得る自分をつくる。
一、やり方とあり方の区別が出来る。
一、人を幸せにするのはあり方である。
一、頭で考えるよりも霊で感じる事を優先する。
一、霊は宇宙の真理である。魂は人の意思である。
一、魂と霊が繋がってこそ事は上手くいく。
一、霊は一つであり、優劣はない。肉体か朽ち果てても、霊は元に戻る。
一、私達の魂が清らかであることに気付けば、次の世は清らかな時代になる。
一、私達は中今を生きている。
【条目】
一、穢れを祓い、良いところを認め、清らかにし、感謝が言える様な人間を育てる。
一、育てるとは共に寄り添い、期が熟するまで待つ事である。
一、神道は神教ではない。行ってこそ、道はできる。その第一歩が伝える事である。
一、人様との縁を長く続ける事に努めている。
一、嫌と言う感情に打ち勝つ。最大の敵は自分である。
一、成功はやり方で手に入るが、幸せはあり方を明確にする事で掴むことが出来る。
一、人の心を学びたければ、宇宙の真理を理解することである。
一、本当に強い人間とは善に心を留めきれる人間である。
一、怒りは自分の中にある。その事に気づけば感謝が言える。
一、戦う事を正当化すると自分の所有物になり、次の戦いが起きる火種を作る事になる。
一、みんなが意見を出しても遺恨が残らない和らぐ環境を整え、事を為す。
一、みんなが決めた事には従う。
一、人を和合されるのは智や義ではなく、信・礼・仁である。
一、智・義は繁栄をもたらすが、信・礼・仁は平和をもたらす。
一、平和と繁栄、両輪あって初めて前へ進む。
一、智・義・信・礼・仁、これら全てを持ち合わせたものに徳が備わる。
一、自分の事だけ考えていたら、国も組織も長く続かない。
一、怒りは自分の中にあり、その怒りこそ弱い部分である。
一、怒りを刺激されても反撃せず、むしろ感謝する。
一、相手が変わったのではなく、自分の見る目が変わっている事に気づくことである。
一、問題の一歩手前に課題があり、問題は課題に取り組まなかった結果である。
一、問題が起きた時に、どうしてではなく、どうしたら上手くいくかを共に考える。
一、私の善が負けたから私が穢れる。私の善が勝れば相手が清らかになる。
一、私が誰かに嫌な感情になるのは、私が尊敬されていないだけである。
一、同じ出来事でも穢れた経験にするのか、清らかな経験にするのかはその選択によって異なる。
一、霊と魂が離れ、魂のみで何かをやろうとすると、問題が起きる。それを自我と呼ぶ。(一霊四魂)
一、自分の霊と他人の霊が離れると不平不満、愚痴嫉妬が起きる。
一、相手を責めているようで、裏を返すと自分を責めている。これを穢れという。
一、人は悲・苦・怒・憂・恐と言った感情によって、成長もすれば穢れもする。
一、気が枯れる事を穢れと呼び、穢れると人は病気になる。
一、病気の兆しがある。それは悲・苦・怒・憂・恐、この様な感情になった時である。
一、清らかであれば、いつでも笑って、歌って踊れる。
一、人が篭った時に救えるのは笑顔である。
一、最大の苦しみと悲しみは準備されている。
一、喜びや楽しみは準備されていない。人生とは楽しみためにある。
一、この世の中に納得いくことはない。腑に落とすにはどうしたら良いかを考える。
一、今という日の感謝が出来れば腑に落とす事が出来る。
一、今日と言う日は私達の祖先が血となり汗となって作ってきた。
一、自分にも悪いところがあるように、誰にでも悪いところがある。
一、他人の短所を見て優越感に浸るのではなく、人の長所を見て自らを省みる。
一、荒魂は決して悪いことではなく、全体で見ると必要なことである。
一、荒魂によって徳が表面化することがある。
一、自分にとって良い人とは自分のことを認めてくれている人である。
一、ルールや規則をなくすには、それを上回る道徳心が必要である。
一、自分が正しい事を行なってその心を広める。
一、強い者が弱い者を搾取するのではなく、強い者は弱い者を助ける。
一、弱い者は強い者に依存するのではなく、弱い者は強い者から学ぶ。
一、躾とは自らが律するもの。
一、自分の為だけではなく、世の為に学んだ事を伝える。
一、最大の幸せは何事もない事。何事もないからなんでも出来る。
一、伝えることは実践の場であり、試される。縁を結ぶことで道を歩む事になり体系化する。
一、神とは示し申す。自らか律し、これらを実践することで、模範となり、社会を育てる事に努める。
一、私が模範となって行動すれば必ず私から学びたくなる人が現れる。
一、人は言ってる事を聞いていない、やってる事を見ている。
一、言葉だけ頼ることが伝える事ではなく、姿で示す事である。